「バーフバリ2 王の凱旋」を観てきた。マサラ上映ではない普通の上映。これが最高の体験だった。鑑賞ではなく体験だった。これは体験するアトラクション、「神話のある世界」に没入し、伝説の語り手ともに王を称えるというバーチャルリアリティなのである。
ネットで公開されているいくつかのシーンがちょっとした話題になっている。三本の矢による近接バトル、鼻で弓を持つ象、世界史上最も美しい白鳥ボート……。
ああいった見せ場が何箇所もあるのだろうと思って観に行ったら、なんとあのクオリティのシーンばかりで2時間半が埋めつくされているという物凄い密度であった。
描かれる風景も印象的だ。大建築と巨像の並ぶマヒシュマティ王国の黄金と石、大自然に囲まれた小国家クンタラの白亜と森林、その対比がなんとも美しい。
最初にあらすじが流れるが、これは「前作のあらすじのまとめ」と「今作の序曲」を兼ねた内容となっているのでちょっと注意が必要。うっかりしていると混乱する。本作のストーリーはそこで語られる内容の続きではなく、時系列的にはその途中から始まっている。
物語は、ヒンドゥー教をベースにした世界で繰り広げられる神話的英雄バーフバリの親子二代にわたる壮大な叙事詩である。シヴァやクリシュナといった ヒンドゥー教の「実在」の神々の名も登場し、登場人物たちも神々の加護を得て活躍するという内容になっているが、バーフバリの伝説自体は創作である。
お話は王家の後継者争い、小国の姫とのロマンス、戦争、陰謀そして復讐……と実に壮大で盛りだくさんなのだが、要素要素はどこかで見た定番シーンが多い。
- 川上から赤子がどんぶらこどんぶらこ
- 荒ぶる獣をなだめる英雄
- 角に火をつけた牛の群れが突撃
- 女をめぐって戦争がおっ始まる
- 国を離れていた王族と、暴君と化した王位簒奪者との戦い
こうして並べてみると本当にド定番である。世界各地の神話や英雄譚、昔話の類型をしっかり踏襲している。
戦闘シーンではバーフバリとその仲間たちは超人的な動きをして次々と敵をなぎ倒し、奇抜すぎる作戦は次々と成功する。物理法則は100%バーフバリに味方する。映像としては格好良くもあり、おもしろおかしくもある。とにかく都合が良く、それが気持ち良い。
悪役がいかにも悪役で、実に悪役らしいセリフを吐くというのも、現代の映画の人物造形としては浅いように見えるが、ライバルや敗者を殊更に悪く描き、英雄の正しさを際立たせる極端さが非常に神話らしい。敵にも敵なりの事情があり、蛮族と呼ばれた集団も実際には秩序ある文化的な国家で、英雄にもどこか弱いところや心の闇があって……などという中立的な描き方はしなくていい。しないほうがいいい。
最初の10分で、バーフバリがどういう人物で、この物語がどういうルールで動いているのかは理解できるので、あとは「お約束」と「主人公補正」の圧倒的な強さに身を任せれて王を称えれば良いのだ。
この物語のルールは「現代映画の最強主人公のお約束」ではなく、「神話や伝説のルール」である。「スペクタクル映画を作りたくてこうなった」「やってみたい映像をつなげたらこうなった」という印象よりも、「詩歌や芸術作品によって表現されてきたストーリーをそのまま忠実に映像化したらこういう映像になった」という印象を持たせるように出来ている。あらすじもエピソード群も、見せ場となるシーンも、
- 神話・英雄譚の物語の定番展開
- 文章ではさらっと表現されてしまうがリアルにイメージするとハチャメチャすぎる、超人的戦闘シーン
- 大げさで詩的な台詞回し
- 主人公サイドの美点と敵サイドの悪徳の誇張
- ところどころに挟まれる英雄讃歌
こういった神話と叙事詩の文法に則っている。「バーフバリ」は、あらゆる民族に共通した文法をぎっしりと詰むことで、「本当に原典が存在しそう」という印象を作ることに成功した。
映画が発明されてから現在に至るまで、先人から受け継いだいくつも物語が映画に変換されてきた。我々は「バーフバリ」に対し、その逆の変換を行う。すると、「原典であるバーフバリ叙事詩と、それを語り継いできた人々」の姿がリアルに立ち現れてくるのだ。そんなものはないはずなのに、我々は幻の物語を逆算する。
バーフバリなる人物の実在性は今では否定されているが、この王国が周辺の小国との戦争や婚姻によって版図を広げ、内部でも熾烈な後継者争いを繰り返した歴史を踏まえて物語が生まれた。現統治者の正統性を主張するためのプロパガンダという面もあっただろう。語り継がれるごとにバーフバリなる人物の偉大さが強化され、
「バーフバリは三本の矢を番え敵を次々と倒し、デーヴァセーナもそれに倣い敵を倒した」
「百万の矢の雨が降り注ぐ中、バーフバリは椰子の木を弩として我が身を敵陣に投じ、兵たちもこれに続いた」
といったフレーズに人々は心を躍らせた……。
そんな想像が広がる。「バーフバリ」は「神話っぽい映画」でもなく、「架空の神話の映画化」でもない。「架空の世界で行われた実在の伝説の映画化に立ち会うという、架空の世界への旅の疑似体験」である。制作者は「バーフバリ伝説」を語り継いできた古の人々と同じ時空に立っており、我々もそれを観ることで同じ時空に立つのだ。映画館を含めた世界のすべての空間がバーフバリの結界に飲み込まれる。これはバーフバリを称える祭、古来から続く祭の続きなのである。
バーフバリ! バーフバリ! バーフバリ!
映画館からの帰り道。本屋に立ち寄れば、きっと岩波文庫の「バーフバリ」が平積みになっている。そんな気がする。