空鼻という悩み


聞こえるはずのないものが聞こえるのが空耳で、見えないはずのものが見えるのが空目だが、私はときどき「空鼻」に悩まされる。

去年の夏のこと、ビルの8階の居酒屋ので友人たちと飲んでいたところ、ボヤに遭遇した。乾杯が終わり、前菜をつまんでいたところ、個室に駆け込んできた店員さんに「このビルが火事になったので逃げて下さい」と言われた。燃えてはいけない何かが燃えている臭いのする煙の中、非常階段を走って下りた。

結局、それはローカルニュースにすらならないようなボヤだった。しかし、「私は死ぬかもしれない、私の残りの人生は1時間未満かもしれない」と考えながら狭く煙たい廊下から非常階段に向かった1分か2分は、なかなか不快で恐ろしい体験であった。

それからずっと「空鼻」に悩まされている。地下や閉鎖空間、高層階など、火事が起こったら特に困るような所にいると、あのときの「燃えてはいけない何かが燃えている臭い」を感じて身体がこわばってしまう。たった1分そこら、わずかに死を覚悟した程度でこれだ。しかし世の中にはもっと恐ろしいことがたくさんある。