DQX 2.4のラスボスを倒してきた 〜 運命のヒーローと自由な護衛者の物語 〜

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ドラクエXを、かなりゆっくりなペースでやっている。ネトゲというとどうしても忙しそうなイメージがあったのだが、DQXは気が向いた時にのんびりプレイできる。
のんびりしすぎていたら、そろそろ新編がリリースされるということなので、ちょっと頑張ってVersion 2のメインシナリオのラスボスを倒してきた。
そのサブタイトル「眠れる勇者と導きの盟友」の通り、Version 2の物語は、「勇者」であるアンルシア姫と、その「盟友」である主人公のを中心として進む。その「勇者」と「盟友」の描き方が非常に面白かった。

新たな大陸に渡った主人公 (プレイヤーキャラクター) は、記憶喪失の少女と出会う。農村で静かに暮らしていた彼女の正体は、勇者となるべくして王家に生まれた「勇者姫アンルシア」であったが、とある出来事がきっかけで記憶を喪失している。
主人公は苦労して彼女の記憶回復の手伝いをすることになる。そしてついに彼女は勇者として覚醒する。彼女はいきなり強い。戦闘に参加すれば、いきなり主人公より強い力を発揮する。ドラクエ伝統の勇者専用呪文もガンガン唱える。なんだこいつ?
その後、彼女が主役っぽい動きをしながら、話が進んでいく。これが不快であった。

「おいしいとこ全部持って行きやがってこの小娘! こっちは勇者になりたくてドラクエやってるんだよ、勇者姫とやらのパシリになりたいんじゃないんだよゴルァ! 」
「今まで頑張って世界の国々を救ってきた自分をさしおいて、田舎でのんびりしてた小娘が突然出てきて勇者とかふざけんな」
「何が『あなたは特別なお友達』だ! 『むしろあなたこそ勇者だわ、この称号は貴方に譲るわ』くらい言え」

私がそんな怒りに燃えたのも束の間、次第に彼女との旅路が心地よくなってくる。
思えば、それまでの旅はちょっぴり寂しかった。MMOなので他のプレイヤーとの交流はあったが、ストーリー上長期にわたって一緒に行動するような「仲間」はいなかった。そんな中、ストーリー上も行動を共にし、ボス戦で毎回共に戦うアンルシアは、始めての仲間らしい仲間だった。二人でダンジョンに潜って修行をしながら彼女を「育成」するのも楽しい。

運命のヒーローであるアンルシア姫は、悲しい境遇にある。兄のトーマ王子をめぐる過去の壮絶な出来事が彼女の心に暗い影を落としている。彼女は、勇者としての使命感から戦っているのだが、それ以上に、兄への想いによって動いているようにも見える。敵勢力との戦闘の際には、彼女のほとばしる感情が場面を盛り上げ、大きな物語を強く引っ張ってゆく。
使命感と激情に突き動かされながら戦う彼女の姿は、非常にドラマチックだ。それは決してプレイヤーキャラクターに演じることのできるものではない。少なくとも、無言で、様々な解釈の余地を用意した「ドラクエの主人公」に許された描写ではない。

これは、ストーリーの主役であるアンルシアと、ゲームの主人公であるプレイヤーキャラクターという、2つのキャラクターの良い分業なのである。あえてプレイヤーキャラクターである主人公を彼女の護衛者という立場に置くことによって、「三人称的に鑑賞する、映画的な物語」と「自由な想像と自由なプレイ」を両立させる、非常に良くできた仕組みなのである。

ゲーム内の社会での立場はおそらくアンルシアのほうが「有名人」「中心人物」であり、主人公の立場があくまで「勇者の盟友」であるということは最後までずっと変わらない。しかし王族や重臣といった「関係者」の中での主人公の扱いは手厚い。主人公がアンルシアをサポートするにしても、「主人公の能力・経験・人脈を生かして問題を解決する」といった展開になっており、その過程で懐かしいキャラクターとの再会がある。主人公が物語の細部において「主役」となる場面はたくさん設けられているのである。

この世界では、主人公はなんでもできる。脇道のようなサブシナリオも大量に用意されている。経済活動やコレクションに重きをおいてプレイしている人も多い。

バージョン2に入る前のストーリーにおいて、物語の中心は主人公自身であった。
主人公が世界各国の問題を解決して統治者たちの信頼を取り付け、最終的に、故郷を滅ぼした冥王ネルゲルと決着をつけるという、立身出世と復讐の物語。
小さな島の中で育ち、数少ない知人と引き離され、なんの人脈も持たないところからスタートする主人公は、自らの手で財力・戦闘力・社会的信頼を勝ち取らなければならない。そのプロセスとしては「なんでもやる」というスタイルは非常にしっくりくるものだった。小さな「おつかい」を寡黙にこなして名声を上げるのも、職人として金を稼ぎ、装備を整えマイホームを買うのも、すべてこの世界で生きるのに必要なこととして説明がつく。

そんな生き方は、運命のヒーローにはそぐわない。アンルシアがやったとしたら、
ママ「お小遣いなら幾らでもあげるから、鍛冶屋の真似事なんてやらずに体を鍛えなさい」
パパ「おお ゆうしゃよ カジノに はまるとは なにごとだ」
という具合に、周囲に止められるに決まっている。

ヒーローにしかできないこともあれば、ヒーローにはできないこともあるのだ。

これと類似した構造の物語として思い出したのが、”The Elder Scrolls IV: Oblivion” である。

物語の冒頭にて、いきなり投獄される主人公。獄中にて、時の皇帝ユリエル・セプティムと邂逅し、彼の最期の頼み事を聞くことになる。皇帝いわく、「世界は滅亡の危機に瀕している。それを防ぐことのできる唯一の存在である皇帝家の落胤マーティン・セプティムを探し出し、世界を救ってくれ」と。

その約束を果たすのが、このゲームのメインシナリオである。

世界を救う運命を背負った「ご落胤」マーティンは、ヘタレとまでは言わないが、決してヒーロー向きではない性格だ。とっても地味なお坊さんである。主人公は、そんな彼をサポートし、ときには使いっ走りのような仕事を引き受ける。
シナリオが進むに従い、マーティンは心身ともに成長してゆく。精鋭軍団のマネージャとなり、優秀な学者として世界救済の道を探り、伝説の鎧を身につけ、各地の都市国家から集まった軍団の先頭に立つ。そして最後は竜神の姿になり悪を討つのだ。

ストーリーの中で主人公はあくまでマーティンの補助的な役割を果たすのだが、RPGの主人公らしい働きをする余地は十分に用意されている。魔界への突入、黒幕との対決といった「燃える展開」は、ちゃんと主人公の担当となっている。そして、その都度、関係者たちには賞賛されるのだが、その名声がどこまで響き渡ったのかについてはプレイヤーの想像に委ねられるようにと、上手い具合にぼかされる。

主人公は、とにかく自由に行動できる。DQXの比ではない。劇的に「心の成長」を遂げる英雄マーティンとは対極の人生を送ることも可能だ。反社会組織に加入し、ダークなストーリーを楽しむこともできる。無辜の人々に対して盗みと殺戮を働く、全く同情の余地のない極悪人となることもできる。

個々の勢力別ストーリーラインは、非常に濃厚に作られている。大抵、組織の門を叩き、組織の仲間として手柄を立てて出世し、問題を解決してゆくという筋なのだが、そのどれもがとてもドラマチックに作られている。

もしメインシナリオにおいて「主人公は世界的に有名なヒーローである」という描写をされているならば、「なんでこんな有名人が下っ端扱いなの?」という不自然な点が生じる。人格者として大々的に讃えられてしまうと、「こんな善人に裏の仕事を頼むなんて、ちょっとどうかしている」と突っ込みたくなる。主人公本人が皇帝の一族だったりすると、「身内はどうして止めないんだ」と思ってしまう。
そういった「ゲーム世界における主人公の社会的立場」をめぐる矛盾を一切気にせずにこれらのストーリーを楽しめるのも、「運命のヒーロー」という役割を引き受けてくれたマーティンのおかげである。

Oblivionの主人公は、偶然により皇帝と出会った囚人だった。
なぜ投獄されたのか。冤罪だったのか、それとも凶悪犯罪の現行犯だったのか。それは結局のところ、ハッキリしない。それでいいし、そのほうがいい。
私達は、何の矛盾もなく、この物語を「獄中で出会った男とのたったひとつの約束を守った極悪人の物語」にすることもできるのだ。

ヒロイックなメインシナリオと、プレイヤーとしての行動の自由、多様で質の高いサブシナリオ。
それらをすべて両立させるために、「運命のヒーロー」はうまく物語を引き受けてくれている。そして、プレイヤーがそれでも「主人公」でいられるように、脇役に追いやるのでもなく、過度に祭り上げるのでもなく、絶妙な立場に置いてくれるのだ。
これからも、「運命のヒーロー」たちは、自由な主人公たちの良いパートナーとして活躍してくれることだろう。

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